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商品詳細形式...掛け軸・掛軸
主題...宗教・神話
一点表具軸先微妙に違います
軸先は181cm×54cm程度です。
森 雄山 (もりゆうざん)
祖父の森寛斉に師事し円山派を学ぶ。後にその養子となる。寛斉の没した明治27年の日本青年絵画協会第3回絵画共進会に《深山遊猿》で三等褒状を受賞し、翌28年の第4回にも《昇旭住友図》で再び三等褒状を受賞した。また29年の後素協会の発足には委員を務めた。大正6年没。明治中期から大正初期に活躍された日本画家
久保田米洲?
高橋廣湖(1875-1912)
明治8年熊本県山鹿市生まれ。本名は浦田久馬記。のちに女優・高橋こうの養子となり高橋姓を名乗った。父長次郎は、矢野良敬に学んだ雲谷派の画家で、画塾「観松堂」を開き県北で一家を成していた。明治25年、17歳の時に熊本在住の南画家・犬塚松琴に師事した。その3年後に初号である「天鹿」を名乗って熊本市に出て、絵画研究所「共進舎」の教員となった。この頃、熊本を訪れていた女優・高橋こうと出会い、廣湖の画才に感銘した高橋の勧めで上京して絵の修行をすることになる。明治30年、22歳の時に単身上京、松本楓湖の画塾「安雅堂」に入門した。24歳の時に日本美術院に初入選、二等褒状を受けた。この頃、楓湖から「廣湖」の雅号を授かり改号した。その後日本美術院、巽画会を中心に、二葉会、紅児会、歴史風俗展などの展覧会に出品、受賞を重ねた。特に巽画会では、中心的画家の一人として活躍、評議員、審査員をつとめた。明治44年、36歳の時に巽画会主催で上野竹之台陳列館で個展が開催された。明治45年、取材のため朝鮮・満州を訪れたが、現地で病に倒れ、帰国後37歳で死去した
絵画の種類...日本画商品の情報
| 商品の状態 | やや傷や汚れあり |
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